| JOURNAL | 2023.10.13

|第0回|健康で文化的な最低限度の生活(2023Remix)

ボイスニュータイプ本誌にて好評の「斉藤壮馬の健康で文化的な最低限度の生活」がKIKI でも定期連載として登場しました。第0回は本誌連載から読んでいた方にも見覚えのあるタイトルのお話も。斉藤さんの文章の世界をお楽しみください。

さいとう・そうま4月22日生まれ/山梨県出身/81プロデュース所属/主な出演作は、「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」(緋村剣心)、「ヒプノシスマイク-Division Rap Battle-」(夢野幻太郎)、「ビックリメン」(フェニックス)など。単行本「健康で文化的な最低限度の生活」が好評発売中。

撮影山口宏之
スタイリング本田雄己
ヘアメイク紀本静香
「健康で文化的な最低限度の生活」発売中
https://www.kadokawa.co.jp/product/321805000544/



第0回
健康で文化的な最低限度の生活(2023Remix)


月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり……とはあまりにも有名な芭蕉『おくのほそ道』の冒頭だが、まさしくほそぼそと続けてきたこの「健康で文化的な最低限度の生活」という連載も、気づけば少なからず歴史を刻んできたものだ。

連載開始はなんと、2015年9月発売のボイスニュータイプNo.057。丸8年前である。

もうだいぶ記憶もあやふやだが、少々こじらせた声優・斉藤壮馬が、健康で文化的な最低限度の生活をおくるためエッセイをしたためる、というようなコンセプトで始まった気がする。

もともと文章を書くのは好きで、ほうぼうで機会があれば何か書きたいですと口にしてきたが、そんな思いをいち早く汲みとってくださった当時の担当編集・N氏には感謝してもしたりない。

そういえば余談だが、連載タイトルは大学時代から仲のよい友人たちに相談して、中でもとりわけ親交の深かった後輩の案を採用した。

彼は今地元に戻り、この文章が公開されているころには一児の父となっているはずだ。ここにもまた、ゆるやかな時の流れを感じる。



3ヶ月に1本、だいたい2000字くらいの原稿をこつこつと連載し、2018年には書籍も刊行できた。

故郷・山梨で撮影した写真、書き下ろしエッセイ数本、そしていしいひろゆき氏の素晴らしい表紙イラストが盛り込まれた、お気に入りの1冊だ。

また誌面での連載と並行して、ウェブで「つれづれなるままに」という不定期連載もスタートし、本当に不定期ながらゆるやかに続けさせてもらった。

まったく更新しない時期もあればいきなり数本投稿したりと、登録してくださっている方をかなりやきもきさせてしまったことだろう。どうかご容赦くださいませ。

単行本刊行時からさらに時は流れ、担当編集が何人か変わり、ぼくもこの連載をきっかけに新たな文筆仕事をいただいたりと、ありがたいことにご縁がつながりつづけている。

そんな中、この度改めて連載スタイルを刷新しようという運びになった。

まず、メインの更新は月に一度、1本2000字前後。こちらは本誌で連載していたものをそのまま移籍させた形だ。

そして、「つれづれなるままに」はそのまま残し、本連載以外のもっと短い文章などを不定期に掲載していく。

その他、季節ごとの行事にあわせて特別な文章も載せたいと担当編集U氏に言われているが、そのあたりはおいおい、連載を続けていく中で考えていきたい。

本誌連載時は紙で、しかも縦書きで読むということを意識した書き方を用いていたが、おそらくこちらはスマートフォンで読まれる方も多いだろうから、そちらも探りながら新たな書き方を見つけていく所存だ。

もちろんエピソードごとに文体も変えるし、たまたま今回はやけに真面目くさった書き方になっているが、せっかくのウェブ連載という利点を活かして、いろいろ遊んでいくつもりである。そういう遊びも含めて、楽しんでいただけたらありがたい。



さて、話は戻るが、記念すべき初連載のタイトルは「痛みに弱い人間なのです」。

注射も歯医者も苦手なぼくが人間ドックに行った顛末を書いたものだったが、それから8年経った今、改めて健康について考えてみるところから、この移籍後最初の原稿を始めていこう。

しかしまずもって、文体が若い。これは書き慣れていないというのもあるが、なるべく口語的に、ラジオでしゃべっているような文体を心がけて書いたためだろう。連載自体が実験的なものだったので、文体もいろいろ模索した。

そのとき書きたい内容に合わせ、毎回意図的に漢字のひらき方など細かい点を変えていたので、校正作業が信じられないくらい大変だった覚えがある。それでも、この8年の歩みが、間違いなく一つひとつの文章にあらわれているのを感じる。

8年というのは、自分の人生においてもかなりの割合を占める年数だ。当然その間にはさまざまな痛みも経験したし、健康だったときもそうでないときもあった。

ただ結論から言ってしまえば、じつはぼくは畢竟(ひっきょう)、そこまで痛みに弱くはないのではないか、と思っている。

過去の自分を否定するつもりは毛頭ない。実際以前は痛いのがとにかく苦手……というか怖かったし、今だってそれは変わっていない。

ただ、自らもそう思っていたし、対外的にもそう言いつづけてきたのだけれど、たとえば髭の脱毛をしたり、親知らずを抜歯したり、肋骨や足の指にひびが入ったりするような痛いあれこれを、意外となんとか乗り越えてきてしまったのだ。



中学生のころ、バスケットボール部に入っていた。それなりに真剣にやっていたから身体を痛めることはしょっちゅうで、その度に近所のスポーツ整体に通ったものだ。

ぼくが通っていたスポーツ整体では、通常の施術に加えて低周波治療も行っていた。いくつかのパッドを貼りつけ、電気を流して筋肉をほぐすアレである。

痛い箇所を伝え、いざ施術が始まる段になると、先生にいつも言われたものだ。

「痛かったら教えてくださいね」

これだ。
昔からぼくは、これが苦手だった。スポーツ整体でも歯科医院でも注射でも、痛かったら教えてくださいね、と必ず言われる。

でも、それっていったいどのレベルの話なんだ? どこまでは我慢した方がよくて、どこからは申告してもよいのだろう?

もちろん答えは簡単で、自分が痛かったら素直に言えばよいのだが、斉藤少年は極端なところがあって、一瞬でも痛みを感じたらすぐに治療をやめてしまうか、どんなに痛くても黙って最後まで耐えるか、どちらかしか手札がなかったのだ。

思えばそういう性格が、若かりしころの自分を生きづらくしてきたのだろう。極端なゼロサム思考。物事を、世界を二元論的にしか考えられず、常に正誤をはっきりさせようとしていた。

しかもタチが悪いことに、自分はいつも正しい側にいるのだと思い込もうとしていた。否、実際心の底からそう思っていたのだ。寛容さ、気楽さの対極にいるような、自分ルールを振りかざし、周りを無理やり納得させて満足するようなタイプだった自覚がある。

そういうわけで、連載を始めたときのぼくは、肉体的には健康だったが精神的にはかなりいびつな状態だったと言える。

ではひるがえって、今は心身ともに健康かと言われれば特にそんなことはないのだけれど、昔よりはわりあい、ファジーなもの、あいまいなものをそのまま受け入れることができるようになってきた。

かつて世界は、苦手なものや怖いもの、近づきたくないものや経験したくないものであふれていた。でも今は少し違う。未知とは恐れるだけではなくて、楽しんで味わってもいいものなのだと、経験から実感できるようになったのだ。

まあ、そうはいってもまだまだ苦手なものなんて無数にあるし——そういえば連載初期、高所恐怖症だとあれほど説明したのに観覧車に乗せられたときは、よほど打ち切りになってくれと願ったものだ、今となってはよい思い出だが——、いきなり魂のレベルが上がって正しくアセンションしたわけでもない。

ひとまず現段階で言えるのは、拙かろうが格好悪かろうが、これまでの歩みは間違いなく今ここにつながっていて、それらがこの先へと足を運ばせてくれるのだ、ということだ。

……いや、そんなキザな言い回しを用いなくても、日々の生活をきちんとまっとうできれば、振り返ったとき、おのずと道はできているものだろう。




とりあえず事実ベースで記しておくならば、親知らずは4本全部抜いたし、ジムにも通いはじめた。

そりゃあ20歳のころのように、何も気にせず食べたいものを食べ、好きなように生きても太らず、翌日問題ないパフォーマンスができるならそんなに楽なことはないけれど、人間そうも言っていられない。

それもまた時の流れということだし、時を、そして歳を重ねていくということを、むしろ楽しみに感じている自分がいる。

年内には歯列矯正も始めたいから、もしかしたら先々の連載で、完了の報告もできるかもしれない。シミも消したいし、爪も綺麗にしたい。巻き肩、猫背、骨盤の歪みなど、治したいところを挙げればキリがないし、どこか山あいの温泉に行ってスマホの電源を落とし、ただ何もせずにだらだらしたい……。

なんだか欲にまみれた締めくくりになってしまったが、そういう部分も含めて、格好つけず、取り繕うことなく、素直に思ったことを書いていければいいなと思っている。それこそ、つれづれなるままに。

それでは、改めて何卒よろしくお願い申し上げます。


「斉藤壮馬の健康で文化的な最低限度の生活」は11月より毎月第1金曜日更新予定です。次回もどうぞお楽しみに。

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